両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 昔の名前で出ています

 ヘラブナ釣りをされている方の中では、長年ヘラブナ釣り一筋を貫き、50年選手の方も多数おられます。齢80歳になろうかとする団塊の世代の皆さんが、圧倒的多数を占めているのではと思うのです。


 私のような他の釣りの方を長くしていたものにとっては、とんでもない経験を積まれている方達ですから、到底勝負にはならないのですが、そんな超ベテランの皆さんが参加されている我が天釣会の釣り大会です。


 ただ参加されている超ベテランさんを見ていますと、少しばかり疑問を感じることがあります。というか私には真似の出来ない釣り方をされているのです。


 ある人は当たりが出ないのにジーッと浮きを見続けている方がいます。うどんですからジャミに取られない限り付いていますので、団子餌のようにバラケて落ちるのではないので待ち続けることは出来ます。


 ただ待っていれば当たりが出るのか、食ってくれるのかです。釣り堀ですから多数のヘラブナがいます。敢えて寄せなくても餌を打った位置にもヘラブナはいます。そういう意味ではいつか当たりが出るのも理解できます。


 しかしヘラブナ釣りで餌を打ち返すのは、そのポイントにヘラブナを寄せるというよりも、その近くにいるヘラブナに食い気を起こさせるためと考えています。無理に寄せなくてもそのポイントには必ずいます。反対に言うと寄せたからとしても決して遠くにいるヘラブナのでは寄せられないのです。それこそ隣の釣り人のところにいるヘラブナを横取りすることすら出来ません。


 如何に食い気を起こさせるかは、餌の打ち返しの回数に比例します。そのため当たりが出ないからと待っているのではなくて、食欲を起こさせるための餌打ちです。うどん餌の場合はまぶし粉によって食い気を起こさせますが、団子餌に比べると集魚効果は薄いかも知れませんが、食い気を起こさせるには十分な量となります。


 そのうどん餌を打ち返すことで釣果に繋がると私は考えています。にも拘わらずベテランさんはジーッと動かない浮きを見続けているのです。これはいったいどうした事なんでしょう。


 実はその昔の箱池と称されるような小さな釣り堀では、とても静かに釣ることが絶対条件でした。忙しなく餌の打ち替えをすると、もっと静かに釣れ!!と怒られるのです。合わせの水切り音を出すことすら憚られ、浮きも今では考えられないほどの極細の浮きで、トップは髪の毛より細いのではと思うほどのものでした。
 ヘラブナを掛けていらも静かに素面を滑らせ、玉に入れた瞬間だけパシャと音を出してもいいとするような、静寂の中での釣り方だったのです。


 現代はヘラブナのサイズも大きくなり、使用する餌や浮きも大きくなりましたので、それ程繊細な釣りをする必要はないのですが、ベテラン揃いの池では未だに静寂の釣りを良しとする風習が残っているようです。


 その昔の釣り方を今も続けていますので、やはり釣果は伸び悩んでいるように見えます。もう少し改善すればと思うのですが、頑なに昔の釣り方を続けられているように思えます。ただ静かに釣られるためかとても良いサイズを釣り上げる事もありますので、天釣会の大会では数釣りではなくサイズ競争ですが、時には上位に入ることが出来ます。


 まぁそれでいいのかも知れませんが、10年一日如くでは進歩がないとまではいいませんが、もう少し改善をしても良いようにと思ってしまいます。まぁヘラブナが特に進化した訳ではありませんので、昔の釣り方も通用するとは思いますが、工夫を重ねる気は起きてこないのでしょうか。


 私のようなもっともっととの欲求が沸き起こる、そんな卑しさがないからでしょうか。50年を過ぎると太公望のように、糸を垂らしているだけで良しとされているのかも知れないですね。


 そうそう!!太公望は、名前ではなくて太公が望まれていた人物って胃子で付いた呼び名です。本名は「姜子牙(きょうしぎゃ)」といいます。ただ実在した人物ではなくて、封神演義という文学作品に登場した人物です。
 それなのに中国には川の側で太公望が座り続けていた岩が残されているのです。その岩には座っていた箇所は磨り減っているのですから・・・さすがは中国ですね(笑)