両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 意固地な頑固者より素直な方が釣りは楽しい

 ある釣り人は、年がら年中同じ仕掛けで同じ餌を使っています。当たりが出ないと嘆いたり、当たっても乗らないと嘆いています。
 当たりがあっても乗らないので、ついつい大合わせとなって高切れをしてみたりと、トラブルも多いように見受けます。ベテラン釣り師ですから、決めた釣り方を続けるのもあながち間違いではないと思うのですが、少し考える余裕があれば、また違った答えで導き出されるとも思います。
 決してその答えを持っているのは、トーナメンターやインストラクターではないと思うんです。トーナメンターに見合った「腕」の持ち主であれば実現も可能でしょうが、指導された内容を実現するには、「腕」が追い着いていない場合は、使いこなせないだけでなく、より釣果を落としてしまうかも知れません。
 勿論、ゴルフのように素人の指導は邪魔ものでしかなく、プロの指導を仰ぐ方が良いに決まっているのですが、日曜釣り師としては、回りで釣り上げている人に少し質問をする程度で良いように思いますが、そんな釣り師に限って聞く耳も持たないのですから、明らかに間違っていたとしても、何も言葉を掛けることが出来ません。


 ある日、床取りの方法があまりにもおかしいので、その点をベテラン釣り師から指摘されていました。返ってきた答えは、この取り方を習ったとの返事で修正しようとはしません。確かにその方法もあるのですが、それに見合った釣り方をしなければ当たりは出ません。見ている限り床取りしていた方法とは違った釣り方をしています。どうして違う釣り方をするのかわかりませんが、そこに疑問は感じないのでしょう。
 結果当たりが出ない出てもスレ当たりと、繊細なヘラブナを相手にしているとは到底思えません。床釣りでの当たり方として「戻してツン」との表現があります。その人はその当たりを取っていると言われるのですが、私が1日釣りをしていて50枚60枚の釣果に恵まれた日でも、うどん餌での当たりとしては、突然にツンと落とす当たり方が圧倒的で、戻してツンは1回あるかないかです。
 多分私的な釣り方では出ない当たりなのでしょうが、団子餌でないために戻してツンはなかなか出ない当たり方です。確かにまぶし粉が剥がれた時に、戻してくる浮きがありますが、それとはまた違う当たり方ではないでしょうか。


 そうそう、うどんの底釣りをしていて、浮きがゆっくりと1節押さえ込まれたままで静止することがあります。あれはいったいどんな現象が起きているのでしょう。
 ヘラブナやジャミが触っているのであれば、静止し続けることはないはずですが、じーっとしている浮きを見ていて不思議な感覚になってしまいます。
 単なる想像でしかありませんが、道糸のシモリが浮きに現れているのではないかと思っています。水流に押されているのか、単に道糸の重さなのかはわかりませんが、毎回沈めてしまうのであれば、さっさと浮きを変えるべきなんでしょうが、毎回起きない現象ですから、これはいったい何だろうと疑問を持ってみていますが、答えを面持ちの方はいらっしょいますか?
 おっと、、いつものように横道に逸れてしまいました(笑)。


 意固地になって釣り方を変えないでいると、相手任せの釣りに陥ってしまいます。良く聞く台詞としては、何々池はとてもいい当たりを返してくれた。当たりが出ると殆ど乗ってきた。カラツンなんか無かったとのこと。
 ですが、それが毎回ならまだしも良かったときの記憶だけのようです。別に思い出を語るのは良いとしても、やはり毎回検証して次の釣行に役立てる。そんな向き合い方をしたいと思うのです。


 待ちに待った日曜日を残念な日とならないためには、自らの努力以外ないはずです。それが出来ている人は、あの人はいつも良く釣ると称される人でしょう。当日の池の様子を的確に察知して、今何をすべきなのかを的確に判断出来るかどうかで、釣技が磨かれていくと思うのです。
 が、私のような生来のものぐさ者にとっては、それが面倒になって出来ないでいます。前もっての準備は、時間的余裕もありますので大丈夫なのですが、いざ釣り出してみると、その瞬間の時間を惜しんでしまって、対応が取れないのは困ったものですから、人のことを批判的に語る資格は全くないのですが、「人の振り見て我が振り直せ」を実践してこそ意味があると、自らの戒めを込めたブログとなってしまいましたね(笑)。


 さぁて、気候も断然良くなってきましたから、気持ち良く1日を過ごしたいものですよね。次の日曜日はどんな攻め方をしてみましょうか。功を奏するかどうかは神のみぞ知る?いやいや自らのものぐさが知っているようです。