両うどんのヘラブナ釣り

ヘラブナ釣りで人生を楽しんでいる日曜釣り師です

常時50枚の釣果と大助を釣り上げるために

 ヘラブナ釣り 表現の違和感「良型」

 釣り番組などでナレーターが良型(りょうけい)のヘラブナを狙いますと表現されています。この「良型」って表現は何を意味しているのでしょう。


 私の知る限りですが日本語として良型との表現は存在しません。お手持ちの辞書で調べられると解ると思いますが多分出てこないと思います。
 唯一釣りの世界にだけは認知されているようで、それもどちらかというと関東での表現ではないかと思われます。私は京都在住ですが今のところ私の周辺で良型との表現される方はいませんし聞いたことがないのです。


 良い形をしているとの表現をする場合はサイズではなくて、魚体の美しさを示すはずで良型とはなんとなくのニュアンスで大型魚を示しているような気がしますが、言葉として「りょうけい」と表現した場合は「良計」や「量刑」として受け取ってしまいます。この場合の良計は良い計画ですし量刑は刑期の長さの表現です。
 多分関西では良型と書いて「りょうがた」と読むと思いますが、どうしてナレーターは「りょうけい」と表現したのでしょう。また編集者もそれを認めたことになりますが不思議でなりません。


 実際とても聞こえ方としては気持ち悪いというか何をさしての表現なのか解らないんです。もし大型だとすればそのまま大型サイズと表現すればいいわけで、もし姿が良いヘラブナをさしているのであれば美しい魚体で良いはずで、美形や形が整っていると表現しても良いはずです。


 関東と関西との大きな違いは他にも感じていて「大」をなんて読みますでしょう?私は極普通に「だい」と読みますが、何故か関東系では「おお」と読まれます。大の一文字では違うかも知れませんが、競馬に「大障害」と称するレースがあります。私はそのまま「だいしょうがい」と読みますがラジオのアナウンサーは「おおしょうがい」と読まれたのです。


 漢字の読み方についてはある規則性があるようで実はなく、習慣性が根付いたものと解釈すべきです。そういう意味では大をおおと読まれる場合も習慣として認知されるべきではあるのですが、やはり最低限アナウンサーやナレーターは本来の読み方をしたいただきたいと感じてしまいます。
 この場合には大障害は「だいしょうがい」と読むのが正解ですが、他に大家族・大自然・大多数・大部分は「だい」と読むはずですが、大所帯・大風呂敷・大掃除は「おお」と読むはずです。
 同じような例として京都には大将軍という焼き肉店があります。この店名はなんと読まれるでしょう。和名的読み方の本来は「たいしょうぐん」ですが名詞的読み方として「だいしょうぐん・だいじょうぐん」と読むのですが、関東の方が「おおしょうぐん」と読まれて???と私には意味が通じなかったのです。


 ついでの話ですが活魚と書いてなんて読みますか?。関東では「かつぎょ」だと思いますが本来は「いけうお」か「いきうお」と読むのが正解で、関西では今でも「いけうお」主流の読み方になっています。活造りも「いけづくり」が本来の読み方であり表現です。
 魚を生きている状態で締めることは何と言うでしょう。活け締め(いけじめ)ではないでしょうか。まさか「かつじめ」なんてはいわないと思うのですが如何でしょう。


 他にヘラブナの表現で「良いヘラ」との表現についても違和感を感じています。良いヘラって何を言い表しているのでしょう。サイズですか?それとも形ですか?美形のヘラブナを指すのでしょうか。釣り番組で良いヘラが釣れたと表現されるメーカーのインストラクタがいますが何が言いたかったのでしょう。
 では良いヘラと表現されるのですから反対に悪いヘラもいる事になりますが、悪いヘラとはなんですか?形の悪いヘラブナでしょうか。釣り人がスレをかいてしまってウロコが剥がれていたり、魚体に傷が付いているものは悪いヘラでしょうか。悪いのは釣り人であってヘラブナは全く悪くないはずです。つまり良いヘラ悪いヘラなんかて存在しないのではないでしょうか。それなのに良いヘラが釣れたとの表現には違和感を感じてしまいます。


 これを人に置き換えると正に差別適用語であり、そんな偏見を持った人だと受け取れてします。もし魚体の綺麗なヘラブナといいたかったのであればそのまま綺麗なヘラブナが釣れた表現すれば良いだけで、差別的な良いヘラなんて表現はしない方が良いのではないでしょうか。


 理解しにくい表現としては「食感」との言葉も似ています。この表現も私には違和感がありなにをいっているのか解らないんです。実際食感とはなんぞやですが日本語には舌触り・歯触り・喉越し等それぞれに適した表現が存在しているのです。
 口に食べ物を入れて良い食感と言われると???となります。例えばコリコリとした歯触りとか、ビールなど炭酸による喉の刺激は喉ごしの美味さを感じるとか、軟らかい食べ物では溶けるような舌触りと表現してこそ意味が伝わります。


 ヘラブナは40㎝を超えるサイズになると関西では大助と表現しますが、関東では大助とは表現しないのでしょうか。あるテレビ番組で良いサイズのヘラブナを釣り上げてこれは500グラムあると表現されたのですが、関西人の私には違和感のある表現としか伝わらなかったのですが、最低限良いヘラとか良型と表現されるよりは釣れたヘラブナを的確に表現されたことになります。


 ただブリは80㎝を超えて初めてブリと表現するように、70㎝でいくら重量が重かったとしてもブリとは言わないのですから、サイズ感は的確であるべきではないかと思ったりします。
 もし良型がサイズを意味するのだとするといったい何㎝からを良型と表現するのでしょう。または何グラムから良型と表現するのでしょう。何れにしても日本語の表現として良型はないのですから、もう少し考えて表現していただきたいと思うのですが、こんな愚痴は実は意味がなくて言葉は時代と共に進化(変化)していきますので仕方ないんです。


 その昔電話がなかったのですが電気を使って話すから電話との表現が出来上がったのですが、英語ではTelephoneと表現しますが、Teleは遠隔との意味とphoneの音で遠隔間の遠い音との意味となる複合語です。Televisionも同じでTeleとvisionの複合語です。
 今ではスマホなんて当たり前に使っていますが、時代と共に出来上がった言葉で勿論元々はSmart-phonでこの場合は細いではなくて洗練されたと解釈した方が良いのかも知れませんね。


 そうそう日本で出来た漢字があります。この場合漢字と表現すること自体に違和感があり、漢民族が使っていた漢語から派生したのが漢字ですから、日本で作られた文字ですから和字と表現すべきかも知れませんが、峠という漢字は日本で作られた文字で、山に上下ですから見ただけで峠の意味が伝わってきますね。
 その他には魚偏の漢字の多くは日本で作られた和製漢字で全てを合わせると全部で174種もあります。この和製漢字のことを正式には和字ではなくて国字と表現します。


 しかし懐古趣味ではないのですが表現の適格性を欲するのは、時代に逆らうような昔人間の仲間入りをしてしまっている自分を自覚するのであります。昔はこうだったなんて事は禁句ですから言わないようにしようと思うのですが・・・駄目ですね。


 言葉も意味も時代と共に変化することを受け入れるべきか、それとも指摘し続けるべきか果たして・・・